BSLへの思い
14年続けたBSLの解散、感無量です。
私にとってBSLは、私の居場所でもあり、心のよりどころでもありました。
原点は、13年前、最期まで在宅で看取った義母の介護でした。
そのとき、高齢者にとって住環境の大切さをつくづく思い知ったのです。
時代は、住宅のバリアフリー化にようやく目が向けられ、介護保険制度も始まろうとしていました。
私はインテリアスクールの住宅福祉科で学び、卒業した仲間たちとともに始めたBSL。
はじめは情報交換の場でしたが、次第に地域での実践活動や情報支援の活動が始まりました。
「すまいの相談」はミニデイに集う高齢者や支援者の信頼を得ながら、当事者・介護者・生活者の視点で、業者まかせでなく、できるだけ費用を押さえ、できるところから、工夫しながら、状況に応じて住環境を整えるというBSLだからこその丁寧な相談を目指しました。マンパワー不足、地域性は常に問題となり、また、費用の発生や責任の取り方、コーディネートの難しさなど何度も検討会を開き議論を重ねましたが、メンバーの脱会や入れ替わり、介護環境の変化もあり、大きく一歩踏み出せなかったことには、(ニーズは絶対あるはずなのに・・・)やり残したかなとの思いはあります。でも現場で人と関わるこの実践活動から得たものは、高齢者のすまい改善の知識だけでなく、仲間とともに活動することの楽しさと難しさを知ることができ、私にとって、とても大きな人生の糧となりました。
もう一つの柱としての情報支援・啓発活動、とくに世田谷まちづくりファンド助成金を得ながらの「せたがや住宅福祉サービスガイド」の発刊は、介護保険制度が浸透していく中で、住宅改修・福祉用具を上手に利用してほしいという思いもあり、社会へ向けてBSLを知ってもらう意味でも大きな活動でした。このころの私は、頭の中が、BSL、BSLでいっぱいでした。懐かしい思い出です。情報支援の分野なら、私にもできることがありそうだと「転倒予防の聞き取り調査」やその延長線として「安心ころばん塾活動」にも力を注ぎました。最後の公開講座も多くの方に来ていただくことができ、BSLの全員の団結力に感激しました。
時代の動きや各メンバーの状況変化を考えると、ここまでよく続いてきたなと思います。結局地域での実践活動では大きな一歩が踏み出せなかったけれど、「誰かに大きな負担をかけないように、できる範囲の活動で行きましょう」としたことで、これだけ長く続いたのだと思います。引っ込み思案で社会性もない以前の私を知る人からはびっくりされるほど変わったのはBSLのおかげです。
今、認知症の母を見ていて、BSLにいたからこその経験・体験・知識が私を支えていると思います。
高齢者施設について学び、BSLの仲間たちの体験も教えてもらい、今年は母の施設探しを考えていた私ですが、できるところまでは在宅で住み続けられないかと思うようになりました。母は、我が家が大好きなのです。弟夫婦と連携して、地域や行政のサービスを利用して、家族の大きな負担にならないところまで在宅は・・・・むずかしいでしょうか?13年前、義母の介護体験から、私自身は、子供や家族に介護負担をかけることは絶対にしない、自ら施設に入居のつもりでいましたが、絶対ということは、わかりませんね。今後だれにも訪れるかもしれない「認知症」、興味津々で、私そっくりな母を今じっくり観察しています。
beautiful senior life は私の生き方そのものです。
BSLは終わりではありません。まだまだ、皆さんとともに学び続けていきたいです。(YAKO)
私にとってBSLは、私の居場所でもあり、心のよりどころでもありました。
原点は、13年前、最期まで在宅で看取った義母の介護でした。
そのとき、高齢者にとって住環境の大切さをつくづく思い知ったのです。
時代は、住宅のバリアフリー化にようやく目が向けられ、介護保険制度も始まろうとしていました。
私はインテリアスクールの住宅福祉科で学び、卒業した仲間たちとともに始めたBSL。
はじめは情報交換の場でしたが、次第に地域での実践活動や情報支援の活動が始まりました。
「すまいの相談」はミニデイに集う高齢者や支援者の信頼を得ながら、当事者・介護者・生活者の視点で、業者まかせでなく、できるだけ費用を押さえ、できるところから、工夫しながら、状況に応じて住環境を整えるというBSLだからこその丁寧な相談を目指しました。マンパワー不足、地域性は常に問題となり、また、費用の発生や責任の取り方、コーディネートの難しさなど何度も検討会を開き議論を重ねましたが、メンバーの脱会や入れ替わり、介護環境の変化もあり、大きく一歩踏み出せなかったことには、(ニーズは絶対あるはずなのに・・・)やり残したかなとの思いはあります。でも現場で人と関わるこの実践活動から得たものは、高齢者のすまい改善の知識だけでなく、仲間とともに活動することの楽しさと難しさを知ることができ、私にとって、とても大きな人生の糧となりました。
もう一つの柱としての情報支援・啓発活動、とくに世田谷まちづくりファンド助成金を得ながらの「せたがや住宅福祉サービスガイド」の発刊は、介護保険制度が浸透していく中で、住宅改修・福祉用具を上手に利用してほしいという思いもあり、社会へ向けてBSLを知ってもらう意味でも大きな活動でした。このころの私は、頭の中が、BSL、BSLでいっぱいでした。懐かしい思い出です。情報支援の分野なら、私にもできることがありそうだと「転倒予防の聞き取り調査」やその延長線として「安心ころばん塾活動」にも力を注ぎました。最後の公開講座も多くの方に来ていただくことができ、BSLの全員の団結力に感激しました。
時代の動きや各メンバーの状況変化を考えると、ここまでよく続いてきたなと思います。結局地域での実践活動では大きな一歩が踏み出せなかったけれど、「誰かに大きな負担をかけないように、できる範囲の活動で行きましょう」としたことで、これだけ長く続いたのだと思います。引っ込み思案で社会性もない以前の私を知る人からはびっくりされるほど変わったのはBSLのおかげです。
今、認知症の母を見ていて、BSLにいたからこその経験・体験・知識が私を支えていると思います。
高齢者施設について学び、BSLの仲間たちの体験も教えてもらい、今年は母の施設探しを考えていた私ですが、できるところまでは在宅で住み続けられないかと思うようになりました。母は、我が家が大好きなのです。弟夫婦と連携して、地域や行政のサービスを利用して、家族の大きな負担にならないところまで在宅は・・・・むずかしいでしょうか?13年前、義母の介護体験から、私自身は、子供や家族に介護負担をかけることは絶対にしない、自ら施設に入居のつもりでいましたが、絶対ということは、わかりませんね。今後だれにも訪れるかもしれない「認知症」、興味津々で、私そっくりな母を今じっくり観察しています。
beautiful senior life は私の生き方そのものです。
BSLは終わりではありません。まだまだ、皆さんとともに学び続けていきたいです。(YAKO)
解散に向けて
いよいよBSL研究会は解散に向け準備を始めました。
研究会を立ち上げたメンバーはインテリアスクールで
住宅福祉コーディネーターの勉強をした方が中心です。
これからの高齢化社会の先を見つめ1997年に発足しました。
1999年福祉住環境コーディネーターの資格が出来、2000年介護保険制度が生まれる、
介護が大きく変わる転換期でした。
この10年で介護への意識は大きく変わってきました。
家族だけで介護を担う必要がない、他人に親の世話を任せることができる。
大きな一歩ではないでしょうか。
この大きな一歩はBSLの活動に大きく影響しているように思います。
出来る限り在宅で自立した生活ができるように住宅改修の相談・実践活動を続けてきましたが、
多様な施設利用が可能な世の中、在宅を選択する人は多くはありません。
住宅改修の相談・実践の機会も少なくなってきました。
しかし、介護を受ける側である高齢者の意識は変わってないように思います。
出来る限り自立した生活を送りたい。
終のすみかは自宅でありたい。
自分も同じことを思います。
これからも自分のためにも、
自分らしいすまいのあり方を勉強していきたいと思います。
(Zawa)
研究会を立ち上げたメンバーはインテリアスクールで
住宅福祉コーディネーターの勉強をした方が中心です。
これからの高齢化社会の先を見つめ1997年に発足しました。
1999年福祉住環境コーディネーターの資格が出来、2000年介護保険制度が生まれる、
介護が大きく変わる転換期でした。
この10年で介護への意識は大きく変わってきました。
家族だけで介護を担う必要がない、他人に親の世話を任せることができる。
大きな一歩ではないでしょうか。
この大きな一歩はBSLの活動に大きく影響しているように思います。
出来る限り在宅で自立した生活ができるように住宅改修の相談・実践活動を続けてきましたが、
多様な施設利用が可能な世の中、在宅を選択する人は多くはありません。
住宅改修の相談・実践の機会も少なくなってきました。
しかし、介護を受ける側である高齢者の意識は変わってないように思います。
出来る限り自立した生活を送りたい。
終のすみかは自宅でありたい。
自分も同じことを思います。
これからも自分のためにも、
自分らしいすまいのあり方を勉強していきたいと思います。
(Zawa)






